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世界のゴッホ「ひまわり」(5作品)が集結!YouTube解説とfacebookのバーチャル美術館(世界初!)、公開スタート!

ゴッホの「ひまわり」

今回初めて世界規模(5か国5都市)でゴッホの「ひまわり」の特別企画が開催されました。ゴッホが南フランスのアルルで描いた「ひまわり」7作品のうち、現存かつ美術館に所蔵されている「ひまわり」5作品を5美術館が連携、コラボレーション、ジョイント・イベントとして、facebookのバーチャル美術館で夢の企画として一堂に展示、また各館からの解説がYouTube等で公開されています。
また、この特別企画については、8月11日のニューヨークタイムスでも記事として取り上げられました。

II「ひまわり」5作品 各館説明

#SunflowersLIVE ALL
(全美術館)

#SunflowersLIVE No. 1 National Gallery
(ロンドン:ナショナル・ギャラリー)

#SunflowersLIVE No. 2 Van Gogh Museum
(アムステルダム:ファン・ゴッホ美術館)

#SunflowersLIVE No. 3 Neue Pinakotheken
(ミュンヘン:ノイエ・ピナコテーク美術館)

#SunflowersLIVE No. 4 Philadelphia Museum of Art
(フィラデルフィア:フィラデルフィア美術館)

#SunflowersLIVE No. 5 Seiji Togo Memorial Sompo Japan Nipponkoa Museum of Art
(東京:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館)

「仮訳/要約」(各館から「ひまわり」説明部分のポイントのみ抽出)

1.ロンドン:ナショナル・ギャラリー

(Christopher Riopelle)

ようこそ。今回の特別企画でゴッホの「ひまわり」のある5か国5都市の美術館を一堂に展示するということは作品が損傷しやすい等の現実的な問題から困難であるが、バーチャル美術館というしくみで一室に展示することができた。また、5作品について各館から説明があるが、各作品とも全てが微妙に異なっている。それらを比べて観ることができるのも夢の企画である。
さて、当館の作品は1888年夏に描かれた作品。おそらく8月。他の作家をアルルへ集めるために、とくにゴーギャンを迎い入れるために描いた作品である。当時のアルルの輝く日差しのもとで描かれた。そして、この作品は他のひまわりの元となった作品と考えられている。当館の作品と現在ミュンヘンにある作品とでゴーギャンの寝室を装飾、歓迎しようとゴッホが考えたのである。これらについてはゴッホ美術館から説明がされるであろう。ゴーギャンはゴッホの驚くほどの情熱と「ひまわり」に新たな作風を感じたであろう。「ひまわり」を黄や青の強いコントラストで表現したりしているのである。このとき、ゴッホは創造に満ち溢れていた。しかし、ゴーギャンとの活動はうまくはいかなかった。1888年秋に共に創作活動を数か月行っていたが、ゴッホとゴーギャンでは目指すところが違うとわかった。ゴーギャンは抽象、単純に向かっていたが、ゴッホは目の前の衝動・感情のようなものの追求、ありのままの生命・人生の表現であった。クリスマスの頃にはうまくいかなくなっていた。ゴッホは発作、耳切事件を起こし入院、ゴーギャンはパリへ戻ることとなった。1889年にゴッホは復帰、独りアルルで彼の衝動・感情を表現、作品を描き続けることとなった。ゴーギャンはパリでゴッホとの関係について深く考え、ゴーギャン用の「ひまわり」を描いて送ってくれるようゴッホに頼んだ。それがアムステルダムの「ひまわり」である。今回の5作品それぞれにゴッホのさまざまな工夫がされている。例えば、花瓶に生けられているひまわりの数や咲き具合を変えてみたりということである。ゴーギャンはゴッホが亡くなってから、ゴッホのやりたかったことがわかった。その後、ゴッホの「ひまわり」はヨーロッパからアメリカ、世界中に渡ることとなる。(中略)諸事情があり、当館へこの作品がやってきたのは1920年であった。

2.アムステルダム:ファン・ゴッホ美術館

(Axel Rüger)

アムステルダム、ファン・ゴッホ美術館へようこそ。「ひまわり」5作品は各々が微妙に異なっているが似ている、そして各々が特別な作品である。いずれも、とくに2大作家のフレンドシップの象徴であると言えよう。ゴッホはゴーギャン、その他の当時の有名な作家とパリで出会い、意見交換をするなかで仲良くなった。しかしながら、ゴッホはアルルへ活動場所を移動することとなった。ゴッホはそこで作家のコミュニティを設けることを夢見ていたのである。パリやその他の都市から作家を招き入れ、至近距離で作家活動を行い、共に刺激し合い、可能性を語るのである。まず一番に呼び寄せたかったのは尊敬していたゴーギャンであった。その活動拠点、家をイエローハウスと呼んでいたが、ロンドン ナショナル・ギャラリーから説明があったが、そこを装飾するために「ひまわり」を描いたのであった。また、ゴーギャンのために家具、椅子等を買いそろえた。もともとゴッホは12作品の「ひまわり」で飾ろうと考えたが、すぐに6作品へ減らすことにしたが、結局、ゴーギャンが来るまでに2作品しか描くことができなかった。この後に説明があるミュンヘンの作品、それと先ほどのロンドンの作品であった。
これから当館の作品について説明するが、他の作品と異なっているところは黄色で描かれていることである。というのは、ひまわりの影もグレーではなく、黄色で表現されていると説明している。実際に数えてみると38の黄色トーンで表現されていることがわかる。黄色のシンフォニーとも言えよう。黄色一色でアクセントをつけ表現するというのは挑戦的なことであったであろう。また緑色の茎、そして花瓶、テーブルとのアクセント表現も行っている。あわせて、ロンドンの作品では光の影が表現されているが、当館の作品にはない。背景、輪郭も赤というよりは青であったりもしている。ゴッホはこのように表現を変えて複数のバージョンの「ひまわり」を描いたのである。ゴーギャンが到着してから他のバージョンの「ひまわり」を描くが、東京の作品に特徴がある。粗目のジュート、キャンバスに描かれているのである。そのため、従来と異なり、絵具を厚塗りする方法で描いているのである。ゴーギャンも当時の作品を同様に描いている。しかしながら、その後、ゴッホとゴーギャンの意見が食い違うこととなり、議論が熱くなることも重なり、ゴッホが耳切事件を起こし、ゴーギャンはパリへ戻ることとなる。(中略)
その後にゴーギャンがゴッホに当初バージョンの「ひまわり」をほしいと申し出るが、ゴーギャンのために新たな「ひまわり」を描き、それが当館の「ひまわり」で」ある。そのため、最初にフレンドシップと説明したのである。

3.ミュンヘン:ノイエ・ピナコテーク美術館

(Nadie Engel)

当館の「ひまわり」はゴーギャンの作品と並べられている。先ほど説明があったとおり、二大作家のフレンドシップ、生活をここに展示している。ロンドンとアムステルダムの「ひまわり」の説明は聞いていると思うが、当館の「ひまわり」は最も早く、1888年夏に描かれたものである。ゴッホの当時アルルの生活や環境を当館の作品から感じることができると思う。自然が美しく、木々が生え広がり、鮮やかに茂る南フランスの様子もそうである。当館の「ひまわり」はロンドン、アムステルダムの作品よりもひまわりが大きく配置されていることがわかる。黄色の花瓶を鮮やかなトルコ石の青緑色の背景に置いているのが特徴である。なお、当館の「ひまわり」はゴッホの死後15年、1905年に当時の館長が出会い、途中様々な経緯を経て、1911年にここミュンヘンに展示されることとなったものである。当館にはゴッホがオランダで暮らしていた頃の作品も所蔵しているが、フランスに移って活動するようになってからは作風が大きく変わっている。以前のやや単色調から、ひまわりに描かれているように鮮やかな感じに配色が根本的に変化したのである。青と黄色のコントラストのように、である。また、ゴッホは絵具をチューブから直接塗るようにもなった。それによって様々な表現が可能となり、同時に立体的な表現をするようにもなった。当館の「ひまわり」は花瓶を真ん中にして「ひまわり」を生け、光彩を美しく表現している。これらの表現・技法から「ひまわり」は取扱上繊細、大切に扱わなくてはならず、少しの振動も危険であるとも言える。(中略)それゆえ、今回の特別企画は夢の企画である。みなさんにこの5つの「ひまわり」の企画を是非楽しんでもらいたい。

4.フィラデルフィア:フィラデルフィア美術館

(Nadie Engel)

フィラデルフィア美術館へようこそ。前のミュンヘンのバージョンとの関連を説明したいと思うが、多くの似ている点があるが、まず、青あるいはトルコ石の青緑色の背景である。そしてひまわりを重ね、個々のひまわりの花に個性を持たせている。ここのひまわりは14ある。そして当館の「ひまわり」は色調がやや強く表現されている。個々のひまわりにパンチを、強い個性を与え表現している。ピサロがゴッホのひまわりは人々に見えるとも言っている。これくらい個性があり、その点が当館の「ひまわり」の一番の特徴と言える。また他の「ひまわり」では花瓶がもっと低い位置に、花瓶の底部は薄いクリーム調で描かれているが、当館のは花瓶が黄色で「ひまわり」と並列的に一体をなしているように表現されているところも特徴、併せて、夏の時期に「ひまわり」が冷たい水に生けられ長持ちするよう保存されているように花瓶の下部が紫系の色でも表現されている。そして花瓶の輪郭、テーブルの輪郭がオレンジで表現されているのである。同様にサインも赤系で強くしている、画商の弟と兄弟ということを強調するためであろう。さらに、ひまわりの花はリズムのあるブラシで描かれたようになっており、中心は赤色調に表現されている。1889年1月のゴッホから弟 テオへの手紙でその頃はゴッホはひまわりの模写を行っているとしているが、さまざまな作法・技法を用い、新たな作品に挑戦していたと思われる。また、ゴーギャンは背景が黄色の「ひまわり」に興味を持っていたこともある。アルル当時の作品の色彩関係については、弟 テオへの手紙や他の作品との関連から宗教的一面や母の子守歌をイメージしている等の様々な推論もある。(中略)途中経緯はあるが、現在東京にある「ひまわり」はベルリンにあった模様ということで東京の東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館へ引き継ぎたいと思います。

5.東京:東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(当館)

(小林晶子)

東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館へようこそ。当館の「ひまわり」はゴッホが1888年アルル滞在中に描いた作品で、先に説明のあったロンドンの作品を元にして描いたものである。おそらく秋、11月の終わりから12月初め頃に描かれたものである。ひまわりのシーズンは過ぎていたことからモデルにする夏に描かれた作品をモデルにしたものである。そのため、当館の「ひまわり」は背景が黄色となっており、ロンドンの作品と同じ構図、花、葉、花びら、花瓶の配置等が同じとなっている。しかしながら、ロンドンの「ひまわり」と比較すると何点か微妙に違っている。例えば、背景であり、当館の「ひまわり」の背景は実際には黄色ではなく、やや緑がかった表現がされている。そして表現は少しやわらかく、背景とひまわりのコントラストもロンドンやアムステルダムの作品との比較では、そこまで強くはなっていない。一方、当館の「ひまわり」は絵具がとても厚塗りで立体的に、また花をブラシで流すように強く表現している。弟、テオへの手紙でも書いているが、ゴッホは新たな色彩表現、ブラシ表現に挑戦していたのである。透き通った色のみを使うことで鮮明さを表現、ブラシで生き生きとした様を表現するとしたものであり、前作のコピーではないことを意味しているのである。ここで「ひまわり」の隣にあるゴーギャンの作品に触れておきたい。ゴーギャンはアルルに1888年10月の終わりに到着後、20メートルの粗目のジュートをキャンバス用に調達し、それをゴーギャンとゴッホで半分ずつ分け合ってキャンバスとした。その半分ずつ分け合ったキャンバスに、ここにある二つの作品が描かれているのである。ゴッホとゴーギャンは一緒に活動し、同じジュートのキャンバスに描いたのである。そして、当館のゴッホの「ひまわり」は損保ジャパン日本興亜が1987年に1988年の創業100周年のために入手したものであるが、損保ジャパン日本興亜は1888年創業、「ひまわり」は1888年に描かれたという縁があり、まさに同い年なのである。また、当時ゴッホは日本の芸術、とくに浮世絵に興味を持ち、日本への旅を熱望していた。現在、ゴッホの「ひまわり」は日本の当館に展示されているのである。