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ポール・セザンヌ

  • 《りんごとナプキン》
  • 1879~80年
  • 油彩・キャンヴァス
  • 49.2×60.3cm

黒い蝶番(ちょうつがい)がついた長持ちの上に、りんごと白いナプキンが並べられています。背景の木の葉は、セザンヌが当時住んでいたアパルトマンの壁紙の模様と考えられます。セザンヌは風景画や肖像画で知られていますが、静物画も数多く描き、優れた作品を残しています。

「印象主義を美術館で飾られている作品のように、堅牢なものにしたい」と語ったセザンヌにとって、画家が自由に描く対象を並べ替え、構図を変えることのできる静物画は、構築的な絵画を求めたセザンヌにとって理想的な分野であったと考えられます。セザンヌは批評家に宛てた手紙の中で「りんごでパリ中を驚かせたい」、と語ったと言われています。

この作品でも、一見無造作に並べられたりんごが堅牢な空間を作りだし、作品に重厚な印象をあたえています。

■セザンヌ《りんごとナプキン》は展覧会会期中に収蔵品コーナーで観覧いただけます。
(《りんごとナプキン》だけの観覧はできません。展覧会と一緒にご覧下さい。)

年譜

1839年
1月19日、南フランスのエクス=アン=プロヴァンスに生まれる。
父ルイ・オーギュストは帽子の販売と輸出仲買業で財をなし、銀行家となる。
1852年(13歳)
エクスの名門ブルボン中学校に入学する。
ここで後に小説家となるエミール・ゾラと知り合い、共にデッサン、詩作、音楽を楽しむ。
1859年(20歳)
父の希望でエクスの法科大学に進学するが、画家を志し中退。
1861年(22歳)
4月、パリに出てアカデミー・シュイスで学ぶ。ここでカミーユ・ピサロら、後に印象派となる画家たちの知己を得る。
エコール・デ・ボザール(国立美術学校)の入学試験に失敗し、以降、パリとエクスを行き来する。
サロンに応募するが、落選が続く。
1869年(30歳)
後に妻となるオルタンス・フィケを知る。
1872年(33歳)
パリ近郊ポントワーズでピサロらと共に制作し、印象派の技法を試みる。
秋、同じオワーズ川流域のオーヴェール=シュル=オワーズに移る。
1874年(35歳)
第1回印象派展に3点出品する。
1876年(37歳)
夏、南フランスのエスタックに滞在する。
1877年(38歳)
第3回印象派展に16点出品するが不評、以降、印象派展には参加しない。
この頃から堅牢な絵画空間の構成を試みる。
1879年(40歳)
この頃《りんごとナプキン》を描く。
1881年(42歳)
夏、ピサロのいるポントワーズに滞在する。
1882年(43歳)
エスタックでピエール=オーギュスト・ルノワールと共に制作する。
サロンに初入選を果たす。
1886年 (47歳)
ゾラの小説『制作』が発表される。
セザンヌを連想させる主人公の描き方が原因で、ゾラとの交友を断つ。
4月、セザンヌとの間に息子ポールをもうけていたオルタンス・フィケと結婚する。
10月、父の死により莫大な遺産を相続、エクスに移る。
1888年(49歳)
エクス郊外の別荘ジャ・ド・ブッファンでルノワールと共に制作する。
1889年(50歳)
パリ万国博覧会に出品。エクスでルノワールと共に制作する。
1890年(51歳)
ベルギーのブリュッセルで開催される前衛芸術展「20人展(レ・ヴァン)」に招待される。
糖尿病の兆候が現れはじめる。
1891年(52歳)
連作《カード遊びの人々》に取り組む。
1895年(56歳)
パリのヴォラール画廊で個展が開催され、好評を得る。
1899年(60歳)
アンデパンダン展(独立展)に出品、その後も出品を続ける(~1902年、1905年)。
1901年(62歳)
20人展の後を継いだ、自由美学展に出品する。
1904年(65歳)
前年に設立されたサロン・ドートンヌで回顧展が開催され、名声が確立する。
1905年(66歳)
《大水浴図》をサロン・ドートンヌに出品、反響を呼ぶ。
1906年(67歳)
制作中に雷雨にうたれ、肺炎となる。10月23日、エクスで死去。